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出身校
茨城県立 水戸第一高等学校 1962年卒。
明治大学理工学部建築科 1966年卒。
生年等
1941年生まれ
中学3年の時、肺浸潤にて喀血。東海村晴嵐荘にて療養生活中、隣人の愛読書「雑誌・新建築を借り受け覚醒」。建築家を目指し、2年遅れの高校進学を果たす。
資 格
一級建築士
受 賞
1996年 『銅を用いた建築コンクール・最優秀第1位受賞』(偕楽園公園センター)
1994年 『第1回茨城デザイン大賞・受賞』(西ノ内紙漉き屋の家)
1988年 『第1回茨城建築文化賞受賞(カナザワコンピーターサービス)』・以後『優秀賞3回(久慈町の家・古き良材を用いた四世代の友部の家・ひたちなか十三奉行の家)・入選9回受賞』
2003年 『千葉県建築文化奨励賞・受賞』(佐原の家)
専門分野
木造建築・木造住宅の設計及び監理
木造建築の作品
茨城県立 偕楽園公園センダーの設計及び監理
美和村立 道の駅 みわ北斗星の設計及び監理
茨城県産の楮和紙でそっくり包んだ木造住宅 西ノ内紙漉き屋の家 設計監理
設計方針
四季の移ろいが齎す日本人の住まいは気候風土と共に生活を営む場を自然素材と手仕事の各職方たちと共に創る事。
単純明快な平面計画・屋根掛けと共に外観も内観も美しく、且つ 維持管理が容易で財産となり得る耐用年数 百年住宅を創る事。
生存の恩師
内田祥哉・1993年〜1994年日本建築学会 会長。 東京大学教授・明治大学教授 の門下生
影 響
明治大学建築学科の創立者・堀口捨巳大先生。
・1〜3年生まで教えを受けました当時明治大学教授。
・孤高の建築家・東大の学生時に従来の建築様式を否定の分離派運動を主導。
・建築史家(著書 利休の茶室・書院造りと数寄屋造りの研究等)・庭園史家・茶道研究者・歌人であり表現者でもあった。
※2冊の著書は共に鹿島出版会発行。私にとっては、室町〜安土桃山時代・茶の湯から生じた「利休の茶室は、世界に類の無い左右非対称形・日本の数寄屋造りの起こりであり、住まいづくりの教科書」でもあり、現在も愛読中。
趣 味
近隣の野・山林の散策及び投げ入れ花・自然体の小庭の設計監理
加入組織
加入保険
茨城県建築士事務所協会
茨城県建築士建築士会
日事連・建築士事務所賠償責任保険
1983年開設 『発起人 内田祥哉・鈴木嘉吉・田中文男・中村昌生・早川正夫の諸先生方が尽力を尽くし開設し・お教え下さった日本建築セミナ−』にて日本木造建築を10数年間再び学び直した=『自然素材と携わる各職方の手仕事を次の世代へと伝え行く事』。
その実践は学んだ者として日常業務の中でその役目を果たせねばならぬ為実践中。
1995年1月〜1996年3月 茨城県住宅マスタープラン策定委員を努めた
2000年4月施行 阪神淡路大震災の教訓を活かす為の法律・『住宅の品質確保法』の茨城県内のアドバイザー講師を務めた
2004年7月 『本物の家はこだわりがつくる』を講談社から出版
2008年12月 『侘び数寄の心でつくる現代の家』を風土社から出版
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